2008-07-20から1日間の記事一覧

③契約について

旧約時代からずっと、エルサレム神殿では毎日動物がほふられ、その犠牲の血によって民の罪の赦しが祈られました。このような旧い契約での「あがない」はここに終了し、イエス様ご自身が十字架上で犠牲の血を流されることによって全人類に罪の赦しの道が開か…

②「代償」(多くの人のために流される)について

イエス・キリストがこれから十字架につけられ、そこで流される血は、人間の罪に対する神様の赦しを得る為の、多くの人の為に流される血である、と言われました。

①「贖罪(しょくざい)」について

贖罪とは「罪のあがない」ということです。あがないとは「代金を払って買い取ること」です。奴隷の身分から解放し救い出す為に、奴隷の主人にお金を払うことを意味したことから、贖罪とは「罪からの解放と罪からの救い」のことです。「贖う(あがなう)」の…

「私の体・私の血」

パンをご自分の体に、ぶどう酒をご自分の血にたとえて、イエス様はここで三つのことを語られています。①「贖罪」、②「代償(身代わり)」③「契約」ということです。

主の晩餐

今日の聖書は過越の食事の中でのイエス様の言葉が中心です。イエス様は一つのパンを弟子達に分け与える為に裂きました。そして「取って食べなさい。これは私の体である。」と言われ、又、ぶどう酒を渡す時「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦される…

契約の締結

司会者に読んでいただいた出エジプト記24章には、神様とモーセの間で執り行われた契約締結の場面が描かれています。民を代表してモーセだけが神様に近付き、契約の内容を聞き、民に聞かせ、民がそれらをすべて受け入れて守ることを約束します。そこでモーセ…

はじめに

聖書においては、「契約」という言葉はとても大切な重要な言葉であり、旧約聖書のヘブル語原典には285回も出てきます。旧約聖書の「旧約」がそもそも「旧い(ふるい)契約」という意味なのです。契約は一人では成り立ちません。私達の社会では契約は人間と人…

 26章26−30節

26 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」 27 また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲…