良心を傾けて従いなさい(5節−7節)

 国家は神に仕える者、奉仕をする者、ということですが、神に奉仕をする、とは「礼拝する」(サーヴィス)ということです。

 神が私達にどういうふうに奉仕をしてくれたか、仕えてくれたか、といえば、神は、私達に主イエスを送って下さって、遣わして下さって、この主イエスによって救いをもたらして下さった。これが神の私達に対する奉仕です。それに対して、国家の奉仕は礼拝をする人々を保護する、守る、という形の奉仕です。直接礼拝に関与してメッセージ(真理について)までは国家は判断しないし、わかりません。主イエスはピラトの前で「私の国はこの世には属していない。」(ヨハネ18:36)と言われました。

 しかしそれと同時に、国家は神によって立てられ、神によって定められた秩序に基づいておりますから、「良心を傾けて従いなさい」と5節から7節で言っています。「良心のためにも、これに従うべき」(5節)とは、「徹底的に良心によって」ということです。それだけ国家は重い使命を神によって与えられていると理解する以外にないでしょう。カルヴァンは、「国家が、人類公共の敵と自ら公言しない限り従いなさい」と言います。しかし同時に、カルヴァンやルターにおいては、「国家の連帯」ということを明確に理解していたように思います。使徒言行録に「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」(5:29)とあるように、「国家に従うのには限界がある」ということをきちんと語っています。