弟子達の祈りと教会の姿

 教会は、何よりもまず天地を創られた神様を見上げ、神様の御業をほめたたえます(24節)。神様の力を仰ぎ見る時、人間の大きさや力がどんなに小さいものであるかを知らされます。続いて弟子達は、詩篇2編の言葉を引用して祈りました。この世の民衆や王達は空しいことを企て、指導者達は神様に逆らうという詩です。事実、ローマ総督ピラトは異邦人、イスラエルの民と一緒になって神様が遣わされたイエス様に反逆しました。しかしこれらのことも全て神様がご承知であり、神様の御手の中にあったと告白します。教会は、神様がこの世界を統治されていることを信じ、神様が与えられるものはすべて引き受ける服従のもとで行動していきます。
更に祈りは、「主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、」(29節)と祈り、「自分達が大胆に宣教出来るように」と続きます。神様が事実に目を留めて下さるならば、あとは神様が必要なことをしてくださるという信仰です。弟子達が祈ったことは、与えられた使命を果たす為に集中することでした。