誰でも神を知る

 本日の旧約聖書に「私は彼らの神となり、彼らは私の民となる。その時、人々は隣人同士、兄弟同士、『主を知れ』と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者も私を知るからである、と主は言われる。」と記されています(エレミヤ31:33−34)。子供も大人もみんな神を知っている。神のことは誰でも知っている。そういう時がくると聖書は言っています。さらに続いて「私は彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない」(同34)とあります。これは非常に重要な言葉です。これは、イエス・キリストのことを言っています。「赦し」のことを言っている。キリストが最後の晩餐で弟子達にブドウ酒を渡し「これは罪の為に流す私の契約の血である」と、契約の血としてご自身の贖罪に言及されました。聖書が語る「神」とは、旧約聖書新約聖書を貫いている「神」であり、キリストが(ご自身の体で)十字架におつきになることによって証言した事柄と結びついた神様です。
今朝はそのことを考えてみたいと思います。