神殿と律法

 アブラハムからダビデの時代までは神殿はなく、幕屋で礼拝をしており、初めて神殿を建てたソロモンは、天地の創り主である神様が人間の手による建物に住まわれることはないことを知っておりました。ただ神様がそこに名を置き、目を注いで下さる場所として神殿を奉献したのです。しかし迫害者達は神殿崇拝者となって、今、神殿がけなされたと訴えているのです。律法についても、迫害者達はモーセの権威にこだわり、字句一つ一つにこだわり、「神様を愛し、隣人を愛する」という律法の精神を見る視点を持たないまま、律法の擁護者と自認しています。