聖書の読み方・歴史観の違い(2)

 もう一つの違いは「まず神ありき」の、神様がおられるもとでの自分の人生か、或いは「まず自分ありき」の、自分優先での神様のいる人生なのか、ということです。迫害者達がイエス様を救い主として拒んだ理由の一つは、メシアはダビデの子孫から生まれるとの信仰が、ダビデ王国の華やかさや、戦争の勝利者という人間に都合のよいメシア像をつくったことです。そしてイエス様がナザレの村育ちであること、大工の息子であったこと、木にかけられた(十字架)者は神から呪われた者という伝統的な考え方などが、その理由に考えられます。いずれにせよ、自分達の考え方や願望に固守して聖書を読むのは「まず自分ありき」の読み方で、不従順な先祖たちと同じ道を歩くことになります。