パウロ、アレオパゴスへ

 パウロの時代のアテネは、かつての繁栄は過ぎ去っていましたが、まだギリシャ文化の中心地でした。人々が集まる広場には、エピクロス派の哲学者(万物は偶然によって生じ、死はあらゆるものの終結である。死後のことについてはどんな思想も受け付けない。神々は存在するが、人間からは遠く、人間には関心をもたない。快楽が人間の最終目的である。という思想)や、ストア派の哲学者(あらゆるものが神であり、あらゆるものが神の意志であるため、あらゆるものの運命が定められている。という思想)も来ていました。彼らは、パウロの話を十分理解できなかった為、キリストの福音とは何か、今後も広場で語り続けて良いかを判断する為に、アレオパゴスにある宗教・学問・習慣などを監視するアテネの議会(評議所)にパウロを連れて行きました。