私達の信仰

私達はパウロのように、自分の全存在をかけて、もし可能なら夜中迄、明け方までも、愛する家族に友人に、神に対する悔い改めとイエス・キリストに対する信仰を語り伝えたいと願っているでしょうか。或いは又、パウロの話に熱心に耳を傾ける群れの一員として、その時代に生きていたら、自分も明け方までパウロの話を聞きたかった!と願う、御言葉に対する熱心さがあるでしょうか。
 
ヨハネの黙示録に良く知られている言葉があります。「私はあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、私はあなたを口から吐き出そうとしている」(3:16)。「私は愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。だから、熱心に努めよ。悔い改めよ。見よ、私は戸口に立って、たたいている。誰か私の声を聞いて戸を開ける者があれば、私は中に入ってその者と共に食事をし、彼も又、私と共に食事をするであろう。」(同19−20)