「なぜ、パンを持っていないことで議論するのか。」(17節)

 そこでイエス様は、「目があっても見えないのか。耳があっても聞こえないのか。」とエレミヤ書を用いながら(5:21)、「分からないのか。悟らないのか。心がかたくなになっているのか。覚えていないのか。」と何度も言葉を重ねておられます。それは、パンが与えられた奇跡を通して、神様の御業が明らかにされているのに、そのことを理解できず、自分の関心事しか見えず、聞こえず、理解できない鈍感な弟子達に対する嘆きと叱責に聞こえます。