段階

 今日の聖書では、癒しが「段階」を踏んでいます。最初の癒しの後、「見えるようになって」(24節)とありますが、これは「見上げて・顔を上げて」とも訳されます。「何か見えるか」とのイエス様の問いに、「人が見えます!」「木のようですが歩いているのが分かります!」と、癒されたことを肯定的に喜び、希望を感じているとも読み取れるこの盲人に、イエス様は二度目の癒しで「何でも(=全体的に)はっきり見える」ようにされました。遠慮深い人だったら「ぼんやり」でも十分だとして、「もう十分です」と主の前から立ち去ってしまうかもしれません。しかし苦しみを長年背負ってきた盲人に、イエス様は再度救いの手を差し伸べられました。