将来と永遠

 一つの種類は、「将来に支えを置く」場合、もう一つは、「永遠に支えを置く」場合の、二つがあるというのです。特に後者の、「永遠」に支えを置く希望は、将来いつの日か解放されて外の世界で自由な生活を送る、ということを支えにする必要がなかったので、無理な要求を将来に背負わせることがない。むしろ逆に、気持を毎日しっかり持てたというのです。非常に逆説的な出来事ですが、収容所生活の中で、一番気分がふさぐのは、「いつこの生活が終るのか」、「いつまで続くのか」、その期日が分からなかった、というのが収容所仲間の一致した証言でありました。

 フランクルは収容所での生活を通し、今を生きる、今を苦悩する、と、いうことにも意味があり、又、困難に対してどのような態度をとるのか、そのような時に、その人が持っている本来的なものが表れるということを体験した。
「生きるか・死ぬか」という極限状況に置かれた時に、「永遠」に希望を置く人と、「将来」に希望を置く人とでは違った生き方が表れたというのです。
いうならば、「永遠」に支えを置く希望はむしろ、「今を生きる力」となった。困難に忍耐する力を与え、練達した人間性を育んだというのです。
フランクルのこの証言は、まことに逆説的な響きをもつものです。「永遠」に根ざした希望は、人を高貴にし、今を生きることに確かな実を与えてくれるというのです。