まちがった信仰

パウロの伝道によって生れたガラテヤの教会に、あとからパウロに敵意を抱く指導者が入り込み、救われる為には信仰のほかに、律法に従うように、さらに、割礼も必要であると教えました。彼らはユダヤ教から改宗した人達で、ユダヤ教的な考えをそのまま持ち込んできたのです。
 パウロは、この福音理解の誤解に対して徹底的に戦いました。今日の聖書に「兄弟達、あなた方は、自由を得る為に召しだされたのです。」(13節)とあります。イエス・キリストを信じる信仰によって救われた人々が、今になって割礼を受けることで救いを完成させるかのように考えるならば、「パウロはあなたがたに断言します。もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります」(5:2)。パウロが恐れていたのは、ガラテヤの人達が、自分達が救われたのは、イエス様の十字架で流された血によって罪が赦され、そのことを信じて、悔い改めて救われたのに、割礼が救いの条件のように(人間の行為が救いに力を与えるかのように)錯覚することでした。パウロは「キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です」(6節)と教えます。