罪の性質

最初の三つは、自分の、社会的立場が上であることを見せびらかしたがる具体例と言えるでしょう。彼らは神様を忘れて思い上がり、その地位にあぐらをかいています。究極の姿が「やもめの家を食い物にする」です。又、「見せかけの祈り」とは、イエス様は人間の心を見抜く方なので彼らの祈りが本物の祈りではない(本物の信仰者ではない)ことがはっきりわかったのでしょう。これらの批判は「神の義」から見ての「怒り」といえます。しかし彼らは罪の意識もなく、社会的立場の高さにいい気になっています。その傲慢さこそ神様が最も嫌われるものであり、サタンの性質を受け継いでいるものです。宗教的なユダヤ人達の中で、更に宗教的であろうと期待される律法学者の、その罪の性質を、イエス様は悲しまれたことでしょう。