宝を天に積む

 21節に「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者(天に宝を積まない者)は、この通りだ」(今夜、お前の命は取り上げられる)」とあります。つまり私達は、自分の為に富を積む(収穫する・稼ぐ)のではなく、神の前に豊かになる(=神に富を積む)ことを教えられています。
 33節には「自分の持ち物を売り払って、施しを必要としている人に施しなさい」「尽きることのない富を天に積みなさい」とあります。(「富」と訳されている語は「富」ではなく「宝」の意味。「富」は、お金や財産を思い浮かべるが、本来の意味はいろいろな「宝」と訳すべき言葉です)。これは、直接収穫したもの、お金・財産を含めて「宝」を天に積みなさいと教えています
「天に」の「天」とは、「神様の前に」「神のみもとに」ということです。
 そして31節には「ただ、神の国を求めなさい。」とあります。
 神の国を求めることと、宝を天に積むこととはどういう関係があるのでしょうか。