礼拝

 「神の国を求める」とはキリストを求めることであり、キリストに従うことだと申しましたが、そのキリストが語られ、キリストがなされたことが説かれるのは礼拝です。礼拝に出席し、礼拝で説かれる御言葉を聴く。もちろん、「聖書を読む」こともキリストを知る、キリストを信じることでは最も重要なことの一つであるといえます。
しかし生きた言葉でキリストにふれるということは、礼拝に出席し、礼拝で説かれる御言葉を聴くということです。そのことがキリストを求め、神の国を求めることであり、そのことが宝を天に積むことです。アメリカにおいてもドイツにおいても、収穫感謝祭は、教会の暦の中に組み込まれており、一年の歩みの中で「感謝する為の礼拝」を守っています。

 礼拝に於いて、私達はキリストについて聞くわけですが、何を聴くかといえば、「キリストが私共のために、神によって遣わされて、この世界に来られた」。このことが第一に聞く言葉であり、知らされることです。キリストが遣わされたことによって、私達が神の国を求めることも可能となり、又、キリストを信じることも可能となりました。キリストは、神様から私達に与えられた最大のプレゼントであり、私達はそのプレゼントをいただくことに、神様への最大の感謝があるのです。