「神の国と神の義を求めなさい」

 33節にはこう続きます。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」。 
神の国」とは、神様のご支配と言い換えることが出来ます。「神の義」とは、神様の御心に従って生きていくことと言い換えることが出来ます。私達は、何よりも先ず、神様によるご支配を求め、御心が何であるかを
聴きつつ生きることにこそ、思い悩みから解放される唯一の道があることを知らされます。そのようにして初めて、私達の人生に必要なものが備えられていきます。

「必要なものが備えられてから」ではありません。「まず、神様のご支配と御心を求める」ことによって、私達はその時その時に必要なものを、「神様からの恵み」として受けとっていきます。それによって日々の思い悩みから解放され、神様の養いの中で安心して生きていけます。
このことは、私達の考えと逆の発想でありましょう。全てが備えられたから、神様のことを信じるのではありません。何一つ備わっていないそういう状況の中でも、神様のご支配と御心を求めて歩む。その歩みの
中で必要なものが備えられていくのです。そのことを知らされ、受け入れ、主イエスを救い主と信じて告白して歩んでいくことが私達にとっての信仰生活です。信仰生活とはそういう意味で、何一つ持たず、ただ主イエスのみに信頼して歩んで行くことと言い換えることが出来ます。そしてその時にこそ私達は、思い悩みから解放されていくのです。