シャローム

それどころか一世紀のユダヤ人がそうであったように、ホセアにおいても、「平和」は社会的であれ、政治的であれ、又、霊の領域においても意識されるものでした。「賛美」と「交わり」がシャロームの基礎ではありましたが、「地に平和」とは、ぶどうの枝に実がなり、鍋の中には肉があり、その土地から憂いが消えることでありました。さらにこのような平和は、ユダヤ人だけではなく全ての人々に恩恵を与えるものでした。これは、全人類に共通する平和だったのです。
羊飼い達は続けてわくわくしながら、このように物思いにふけりました。「今がその時だろうか。今夜だろうか。我々は本当に神様の最も素晴らしい約束が成就する瞬間に立ち合う祝福にあずかる者なのだろうか・・。」何世代にもわたって、「地には平和」との表現とは ほど遠い生活を送っていたユダヤ人でしたので、忠実なユダヤ人にとってもこのようなことが事実であることを信じることはむつかしかったのです。ユダヤ人は、もはや自分達の国すらもっていなかったのですから。