2007-04-22から1日間の記事一覧

おわりに

「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、私達救われる者には神の力です。」(Ⅰコリント1:18)。「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。」(同25)。私達はつまずく人ではなくつまずかない人、信じない者ではなく…

十字架もつまずき

馬小屋から始まったイエスさまの一生は一貫して低い生き方を通されました。イエス様が弟子として選ばれた人達、すすんで関わりを持たれた人達は、地位や名誉のある自分を高くしている人達ではありませんでした。弱い人、人から軽蔑されている人、苦しんでい…

傲慢はつまずきの石

神様を知る、イエス・キリストに出会う、真理に到達することを願うならば、つまずきの石となっている、この私達の傲慢さを打ち砕いていただかなければなりません。私にはあなたの助けは必要ないと心を閉じて、だからこのままで十分なのだといわしめるものは…

私達を省みて

私達はどうでしょうか。イエス様を拒んだ故郷の人と変わらない傲慢さを持ち合わせているのではないでしょうか。頭を下げることは嫌いだし苦手です。自分を高くされることは嬉しく歓迎しますが、相手を高くすることは自分が低くなることなので出来ることなら…

拒否反応の共通点

イエス様の家族も、ファリサイ派や律法学者もそうでしたが、イエス様のまわりにはイエス様の語ることに耳を傾けず、批判する人々が多くいました。彼らは神を信じていましたが、神様がイエス様を自分達以上に高く置かれていることを認めたくありませんでした…

つまずきの原因

ふるさとの人々は、イエス様を自分達と同じ部類の、同レベルの人間であると考え、それ以上の人物であるとは考えたくありませんでした。今、目の前でイエス様がどんなに立派なことを教えても、彼らは自分達のイエスへの評価を変えたくないのです。同じ村で育…

つまずく

かつて自分達と一緒に過ごしたあのイエスが、何でこのように話せるのか、との疑問は、イエス様を信じる方向には導きませんでした。自分達はイエスの生い立ちを知っている、その古い知識が、新しい出会いを妨げました。出身や家族についての知識、共有する過…

会堂で

この日イエス様は故郷ナザレに戻られ、ユダヤ人の会堂で教えられました。ふるさとの人々が、イエス様の話を聞き終り、言った言葉が54節にあります。「この人は、このような知恵と奇跡を行なう力をどこから得たのだろう」と。ふるさとの人々にとって、自分達…

ナザレの村

イエス様はユダヤのベツレヘムで生まれましたが、ガリラヤ地方のナザレの村で少年時代、青年時代を過ごされ、バプテスマのヨハネがヨルダン川で洗礼を授けていることを聞いてナザレの村を出て、ヨハネから洗礼を授けられ、その後、公生涯に入られます。イエ…

はじめに

皆さんはつまずいたことがおありでしょう。多くの場合、つまずくところびます。行くべき目的地があるのに、つまずいて転ぶと目的地への到達は遅れ、転び方がひどい場合には、目的地到着を断念せざるを得ません。同じことが信仰の世界でもいえます。

 13章53−58節

53 イエスはこれらのたとえを語り終えると、そこを去り、54 故郷にお帰りになった。会堂で教えておられると、人々は驚いて言った。「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。55 この人は大工の息子ではないか。母親はマリアと…