2011-04-17から1日間の記事一覧

自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか

神様に創られた命は永遠の命を持っていましたが、罪が入り込んで、生まれたままでは永遠の命を受けられなくなりました。「自分の命」を買い戻すのに払う代価が、イエス様の流された贖いの血です。主が受けられた苦難は、本来私達一人一人が負うべき苦難でし…

わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って

自分を捨てるとは、自分を忘れて、とも訳せます。主に従うことを第一に思い、自分の欲求を忘れられるかどうかが問われています。「自分の十字架」とは、キリストと共に十字架を負う精神、苦難そのものです。十字架刑は恥辱と最高の苦痛を与える刑罰でした。…

神様の赦し

神様は、その人間の罪過すべての責任を、最も愛する御子イエス様に負わせ、「死」をもって償(つぐな)わせ、人類の律法違反を赦されました。人間の中で最も惨めで低い立場に御子を置かれたのです。にも拘わらずイエス様は、神様の救いのご計画に従ったこと…

人間の罪は神の律法によれば死に値する。

神様が私達に与えられた律法は、神様を第一に考えて神様を全身全霊で愛することと、隣人を自分のように愛することです。この二つの事を守れない者は死に値するのです。私達は「罪に対しては死を持って償(つぐな)うことを要求される」という事実を忘れがち…

はじめに

「メシア(救い主)」については、ペトロや他の弟子達もユダヤの民衆までが政治的に自分達を自由にしてくれる救い主であり、その方は栄光の姿で現れると思い込んでいました。しかしイエス様が弟子達に語られた「メシア」の姿は全く逆でした。人々の罪を代わ…

8章34−9章1節

それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのであ…

53章4−10節

彼が担ったのはわたしたちの病/彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに/わたしたちは思っていた/神の手にかかり、打たれたから/彼は苦しんでいるのだ、と。 彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたち…