2007-04-01から1ヶ月間の記事一覧

共通点と相違点

最初の人は、宝を探していて掘り当てたのではなく、たまたま偶然に見つけました。それに対して真珠商人はあちこちを探し尋ねた結果見つけました。共通点は、彼らが発見した後、手に入れる為に同じような行動をとったことです。彼らは今まで蓄えてきた財産を…

宝と真珠のたとえ

ある人が畑を耕していたら偶然に宝を見つけました。当時パレスチナでは財宝をつぼに入れて土の中に埋めることがよくあったようです。戦火から、或いは略奪から財産を守る為です。たとえでは、財産を埋めた畑は何らかの事情で人手に渡り新しい所有者が畑を小…

はじめに

本日の聖書でイエス様は三つのことを語っています。初めの二つは天の国のたとえであり、三つ目は天の国のことを学んだ者の「姿」です。

 13章44−52節

44 「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。 45 また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。 46 高価な真…

イースター(復活日)

イースターはイエス様が死に勝たれてよみがえったことを祝う日です。復活されたイエス様は、聖霊の働きを通して今もなお私達と共にいて私達を守り導き励まして下さいます。復活のイエス様を心から感謝し(だから絶望しない)、復活のイエス様と共に歩む一週…

私達は神の子供

私達人間に命を与えて下さった神様は、私達の、神様への不従順の罪を赦し、罪の奴隷となっている私達人間を罪の支配から救い出す為に、御子イエス・キリストを遣わされました。そして私達の罪をすべてイエス様に転嫁して負わせ、罪の報酬としての死をイエス…

死の先

イエス様の復活は死に勝利されたことを意味します。それによって肉体の死は一時の通過点に過ぎずその先があることを知らされました。それが天の国(神の国)です。イエス様がこの地上におられた時に語られた多くの話はこの神の国についてでした。人は目に見…

復活は神のわざ

イエス様は十字架につけられ殺されました。死んだ後、墓に葬られたことは私達人間と同じです。(この世においては、死を宣告されると多くの人達は絶望します。なぜならすべての終着駅として死を考えているからです。)しかしそこから先は違いました。イエス…

罪を犯されなかったイエス様

イエス様には死ぬ理由はどこにもありません。罪を犯されなかったからです。死ぬ必要のないイエス様がなぜ死んだのでしょうか。それは私(あなた・全ての人)の罪を引き受けられたからです。

復活

復活とは死んだ者がよみがえったということです。驚くべきことです。私達人間は、死の前には全く無力です。全ての人間は死ぬことが定まっています。誰一人例外はありません。なぜ死ぬのでしょうか。死ななければならないのでしょうか。それは「罪の支払う報…

主の天使が降る

ところが墓についた二人は思いもかけない光景を目にします。大きな地震が起こり天使が墓の入り口の石をころがしてその上に座り「あの方は死者の中から復活された」と告げたのです。

日曜日

今日の聖書の箇所は、安息日が終り(土曜日の日没)日曜日の朝まだ十分明けない内に二人の女性が墓を訪れた時の出来事です。墓は封印され番兵も置かれていました。(弟子達が遺体を盗み、復活のうわさを流すことを祭司長達が恐れた為です)。二人の女性は家…

はじめに

イエス様の弟子でありながらユダヤ人達を恐れてそのことを隠していたヨセフ(ユダヤ人の町アリマタヤの出身)が、十字架上のイエス様の遺体を取り降ろす許可をローマ総督ピラトから得ました。そして取り降ろした遺体にニコデモと共に香料を添えてきれいな亜…

 28章1−10節

1 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。2 すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。3 その姿は稲妻のように輝き、…

私達の祈り

私達が毎日、「天の父なる神様」と、親しく祈ることが出来るのは、イエス様が十字架への道を引き受けて下さり、それによって私達の罪が赦されたから・神様との断絶の中に道をつけて下さったからであることを、しゅろの日曜日の今日、特に心に覚えたいと願う…

ゲツセマネの祈りの後に・・

イエス様は力強く言われました。「立て、行こう。見よ、私を裏切る者が来た。」と。 翌日の金曜日朝9時に十字架につけられたイエス様は午後3時に息を引き取られました。(マルコ15:25‐参照) ヘブル書にはこうあります。「キリストは、肉において生きてお…

私達の代わりに・・

このような私達に対してイエス様が代わりに神様の裁きを受けて下さったのが十字架です。ゲツセマネでの苦闘の祈りが、イエス様を、自ら進んで十字架の死・罪の裁きを引き受ける道へと導いたのです。共に祈ることを求められながら、眠りの中に過ごして祈る時…

私の罪

本来なら私達がそれぞれ「自分の罪」に対する「裁き」をうけるのです。一般社会では法律を犯せばその罪に見合った裁きを受けます。私達が神様の前で犯す罪についても同じです。一番の罪は神様を神様とせず、自分を神として自己中心・自己絶対化の道を生きて…

罪が支払う報酬は死(ロマ6:23)

それは、死の恐怖からではなく、この死が神様に裁かれる罪人の死であったからです。コリント第二の手紙には、「罪と何のかかわりもない方を、神は私達の為に罪となさいました。 私達はその方によって神の義を得ることが出来たのです。」(5:21)とあります…

「御心が行なわれますように」

神様のご意志がそのままなされるようにとの祈りは、「汗が血のしたたるように地面に落ち」(ルカ22:44)ながらささげられた祈りでした。まさに苦闘の祈りでありました。なぜこれ程までに苦しみ祈られたのでしょうか。

第二・第三の祈り

少し離れた所で、苦しみを共にして祈って欲しいと願った3人の弟子達は、イエス様が戻られた時、眠っておりました。イエス様は「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても肉体は弱い。」と声をかけられ、再び祈りに行かれました。「父よ…

第一の祈り 

「父よ、できることなら、この杯を私から過ぎ去らせて下さい。しかし、私の願い通りではなく、御心のままに」。 杯とは十字架の死のことです。イエス様は十字架を出来るなら避けたいと願われました。しかし神様のご計画が全てにまさって優先されることをイエ…

三度の祈り

イエス様は三度にわたって祈られました。山上の説教で「あなた方が祈る時は異邦人のようにくどくどと述べてはならない。あなた方の父は願う前からあなた方に必要なものをご存知なのだ」(マタイ6:7)と教えられた、そのイエス様が三度祈られたのです。

はじめに

本日の聖書は、最後の晩餐(木曜日)の後、イエス様が弟子達と一緒にオリーブ山のゲツセマネと呼ばれる園で祈りを捧げられたことが記されています。ゲツセマネは、イエス様がエルサレムに滞在されていた時にはたびたび祈りの場所とされていたようです。ゲツ…

 26章36−46節

36 それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。 37 ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたれたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。 38 そして、彼…