61章1−3節

 主はわたしに油を注ぎ/主なる神の霊がわたしをとらえた。/わたしを遣わして/貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。/打ち砕かれた心を包み/捕らわれ人には自由を/つながれている人には解放を告知させるために。/主が恵みをお与えになる年/わたしたちの神が報復される日を告知して/嘆いている人々を慰め/シオンのゆえに嘆いている人々に/灰に代えて冠をかぶらせ/嘆きに代えて喜びの香油を/暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために。/彼らは主が輝きを現す為に植えられた/正義の樫の木と呼ばれる。

28章17節−30節

三日の後、パウロはおもだったユダヤ人たちを招いた。彼らが集まって来たとき、こう言った。「兄弟たち、わたしは、民に対しても先祖の慣習に対しても、背くようなことは何一つしていないのに、エルサレムで囚人としてローマ人の手に引き渡されてしまいました。ローマ人はわたしを取り調べたのですが、死刑に相当する理由が何も無かったので、釈放しようと思ったのです。しかし、ユダヤ人たちが反対したので、わたしは皇帝に上訴せざるをえませんでした。これは、決して同胞を告発するためではありません。だからこそ、お会いして話し合いたいと、あなたがたにお願いしたのです。イスラエルが希望していることのために、わたしはこのように鎖でつながれているのです。すると、ユダヤ人たちが言った。「私どもは、あなたのことについてユダヤ人から何の書面も受け取ってはおりませんし、また、ここに来た兄弟のだれ一人として、あなたについて何か悪いことを報告したことも、話したこともありませんでした。あなたの考えておられることを、直接お聞きしたい。この分派については、至るところで反対があることを耳にしているのです。」

そこで、ユダヤ人たちは日を決めて、大勢でパウロの宿舎にやって来た。パウロは、朝から晩まで説明を続けた。神の国について力強く証しし、モーセの律法や預言者の書を引用して、イエスについて説得しようとしたのである。ある者はパウロの言うことを受け入れたが、他の者は信じようとはしなかった。彼らが互いに意見が一致しないまま、立ち去ろうとしたとき、パウロはひと言次のように言った。「聖霊は、預言者イザヤを通して、実に正しくあなたがたの先祖に、語られました。

『この民のところへ行って言え。/あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、/見るには見るが、決して認めない。/この民の心は鈍り、/
耳は遠くなり/目は閉じてしまった。/こうして、彼らは目で見ることなく、/耳で聞くことなく、/心で理解せず、立ち帰らない。/わたしは彼らをいやさない。』

だから、このことを知っていただきたい。この神の救いは異邦人に向けられました。彼らこそ、これに聞き従うのです。

パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。

はじめに

パウロは自分のことを、多くの手紙の最初の部分で次のように紹介しています「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロ」「神の御心によって召されて使徒となったパウロ」「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ」「私達の救い主である神と私達の希望であるキリスト・イエスによって任命され、キリスト・イエス使徒となったパウロ」「キリスト・イエスによって与えられる命の約束を宣べ伝えるために、神の御心によってキリスト・イエス使徒とされたパウロ」などです。
パウロはどこにいても、どんな状況下にあっても、イエス・キリストのことを宣べ伝えるという自分の使命、自分の務めを忘れることがありませんでした。振り返れば、第3回伝道旅行を終えて報告の為エルサレムに戻り、神殿にいた時、パウロは敵意を抱くユダヤ人によって拉致され、裁判は受けられたものの、それ以来自由は失われたままです。今回囚人としてローマに護送され、暴風や難破をくぐりぬけ、ようやく長旅が終り、宿舎に着きました。心身ともに、数日の休養を必要としたでありましょう。しかしパウロは到着後、一日おいた翌日には、もうローマ在住のユダヤ人の指導者達を彼の宿舎に招いています(17節)。このことを見ても、パウロは、与えられた自分の人生の時間もエネルギーもすべて、使徒とされた自分の使命・役割を果たす為に、忠実に用いていたことを知ることが出来ます。

先ずユダヤ人に

パウロユダヤ人指導者達を招いたのは、ローマ在住のユダヤ人に福音を伝える為でした。初めて会う彼らに、自分を正しく知ってもらう為、これまでの経緯を語り、自分が伝える福音の内容を聴いてもらう日時を定めました。パウロは伝道の対象を、途中から異邦人に向けて、伝道旅行を通して多くの異邦人教会を建て上げてきました。しかし初めて来たローマにおいて、福音は先ずユダヤ人に向けて語られました。
 

なぜ、「先ずユダヤ人」なのか。

神様はユダヤ人を選民として選び、ユダヤ人を救う為に「救い主」を地上に遣わされました。私達日本人がイエス・キリストの父である神様を全く知らなかった紀元前2000年頃からユダヤ人は既にアブラハムを族長とした神様とのかかわりの歴史があり、紀元前1300年頃には神様から律法(十戒)が与えられ、「律法の民」として倫理的に高い生活の歴史をもっています。救い主待望の信仰も預言者イザヤ(BC8世紀以降)や他の預言者によっても語られています。日本の歴史が大和時代から始まることを考えると、選民ユダヤ人の魂の救いが優先されるのは当然です。

信じるものと信じない者

多くのユダヤ人がイエスこそ救い主であるとのメッセージを受け入れる一方で、他の多くのユダヤ人は、イエス様の十字架の死につまずき、その救い主を自分達民族が殺したという事実を受け入れることを拒みました。拒否しただけで終らず、キリスト教徒を敵視し迫害したのです。パウロが、皇帝に直訴してローマに来たのも、迫害された結果でした。
  
ローマ在住のユダヤ人も「神の国について力強く証しする」パウロの言葉を、ある者は受け入れ、他の者は信じようとはしませんでした。
いつの時代でも、どこの国でも(現代の日本でも)、福音が語られるところ、信じる者と信じない者の二つに分かれます。 にもかかわらず、使徒言行録は
パウロは、二年間、訪れる人すべての人を歓迎し、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」
と結びます。