2012-07-29から1日間の記事一覧

福音が宣べ伝えられる所で

「福音が宣べ伝えられる所で香油の出来事が語られる」という「福音」とは、キリストご自身のことであり、キリストによって「私達人間の罪の赦し」と「死からの解放」と「永遠の生命」が与えられるということです。その福音が語られる所で、この香油の出来事…

記念として語り伝えられる

ところで、今一つのことを申し述べねばなりません。それは、ヨハネ福音書が記していないことですが(マタイ・マルコ両福音書が記している)、主イエスは、「はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として…

二つのこと

そして二つのことを仰せになりました。一つは、「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」(8節)です。「これからわたしは十字架の死を遂げる」ということが背後にあって、主イエスはこう語っておられるので…

マリアの感謝の喜び・信頼の喜び

マリアが、キリストのいわれる言葉をどこまで理解していたか分かりません。少なくてもキリストが苦難を受けられるのではないかということは予感していたでしょう。 私はむしろ、マリアの香油は、彼女達の兄弟ラザロがキリストによってよみがえらせられた(復…

香油に対するキリストの態度

さてキリストは、この出来事の中にあって、どのような態度、言葉を言われたのでしょうか。キリストは、ユダの発言には目もくれていません。そしてマリアの行為を承認し、マリアは、「わたし(キリスト)の葬りの日のために、それを取って置いたのだから」(7…

信仰と行為

ユダに対する聖書の添え書きは、ユダの言葉は純粋なものではない、人間の好意が必ずしも純粋なものではないことを感じさせるわけです。しかしユダの本音はどうであれ、ここには「信仰と行為」あるいは「主イエスの福音と良き行為」との関係について重要なこ…

二つの添え書き

一つは、ユダは貧しい人々のことを心にかけていたわけではないこと。もう一つは、彼は盗人で、主イエスと弟子達の財布を預かっていながら、中身をごまかし自分勝手に使っていたので、それをごまかすために、尤もらしいことを言っているというものです。この…

ユダの非難

その時、後になって主イエスを裏切ることになるユダが、「その香油を300デナリオン(高く見積もって300万円・低く見積もっても150万円)で売り、貧しい人達に施しをする方が良かった」と非難したのです。マタイ福音書やマルコ福音書の並行記事では、ユダだけ…

はじめに

ヨハネによる福音書は、11章から12章11節まで、ラザロとその姉妹マルタとマリアのことをくわしく語っています。彼らが住んでいたのは、エルサレムの南東約3キロ離れたベタニアという村でした。主イエスはエルサレムに入城する前にも、その後でも、ラザロの家…

ヨハネ福音書12:1−8

詩編145:1−16