2007-06-01から1ヶ月間の記事一覧

「主よ、ごもっともです。しかし、子犬もパン屑はいただくのです。」

母親はあきらめませんでした。イエス様のおっしゃることは正しい。ユダヤ人から見れば自分達は汚れている民族である。パンをもらう資格はない。でもパンを食べる時にはパンくずが出る。子犬はそのおこぼれのパンくずを食べられる。だから私にもパンくずを下…

イエス様の拒絶

カナンの女は近寄って来てイエス様の前にひれ伏し「主よ、どうかお助け下さい」と、自分ではなく娘の為に(娘の苦しみは自分の苦しみ)訴えました。しかしイエス様は、母親の願いがどんなに切実でも必死でも、それによってご自分の使命を変更しようとはされ…

「私は、イスラエルの家の失われた羊の所にしか遣わされていない。」

これが弟子達への、イエス様の答えでした。 イスラエルの失われた羊とはイスラエル全体をさしています。民全体が確固たるものを失って、神の導きを求めて頼りげなくさまよう状況をあらわしています。「私は・・しか遣わされていない」とは、遣わしたお方(父…

弟子の困惑

弟子達は後をついてくるカナンの女を追い払うようにイエス様にお願いしました。(別の訳では「去らせて下さい」・・早く解決して欲しい)。

カナンの女

イエス様の名前は、この地方にまで既に伝わっていたようです。一人のカナン人の女が出てきてイエス様に向って「主よ、ダビデの子よ」と呼びかけました。病気の娘を助けて欲しいとの叫びでした。ユダヤ人の間では「ダビデの子」=「メシア・救い主」を意味し…

はじめに

今日の聖書は、イエス様がユダヤの国境外のティルスとシドン(地中海東のフェニキア)地方に行かれた時のことです。イエス様がそのような地方に出かけられるのはめずらしいことで、おそらく群衆から離れ、静寂を求めて、或いは弟子達を教える為に・・と推測…

 15章21−28節

21 イエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。22 すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。23 しかし、イエスは何もお答えにな…

何が人を清くし、何が人を汚すか

イエス様の結論は、当時の宗教的儀式「手を洗う」ことについて、それをしなければ汚れる、ということはないということでした。ファリサイ派が問題にした「昔の人の言い伝え」をイエス様ははっきりと遠ざけらたということです。そして何が人を清くし何が人を…

こたえ

食べ物は人を汚しません。食べたものが悪ければ胃を悪くすることはあっても心の中にまでいかないからです。しかし悪い言葉は、心を汚し(よごし)、心を滅ぼします。食べ物は自然の営みによって、不必要なものは排泄されるように創られています。しかし心の…

ペテロの質問

「口に入る物は汚さず、口から出て来るものが汚す」との言葉の説明をペテロが求めた時、イエス様は「まだ悟らないのか」と嘆かれました。なぜならイエス様のこの言葉は単純なこと、原則的なことであり、自分の良心に照らせばすぐわかることだったからです。…

そのままにしておきなさい(14節)

イエス様に論争をしかけたファリサイ派の人々は又もや論争に破れた形となりました。その後イエス様について、かなり激しい非難を人々に語ったようです。その声が弟子の耳に聞こえてきたので、弟子達はそのことをイエス様に告げました。それに対するイエス様…

浄と不浄の境界線

イエス様は、戒めを破る者には服従を要求し、文字に固執する者には、律法から自由になる道を示されます。イエス様は神様の戒めを尊重するゆえに他のあらゆる権威を否定されました。そして清い物と汚れている物との間の境界線を新しく定められました。ファリ…

ファリサイ派のまちがい

ファリサイ派の人々は、外側に汚れたものがあって, そこから遠ざかることによって自分を清く保とうと努力し、人々にもそう教えました。イエス様は、外側に汚れたものがあるのではなく、人間の内面から出てくる言葉こそが人を汚しあい,人を神なき姿へと誘惑さ…

浄・不浄の問題

この後、イエス様は、群衆に対して「何によって人は汚され、神様の前でよしとされないのか」という問題について教えられました。イエス様は「口に入るものは人を汚さず、口から出て来るものが人を汚す」(11 節)と言われました。食べ物は口から入り、言葉は…

偽善者よ

イエス様は彼らに「偽善者よ」と呼びかけ,イザヤ書を引用しました。彼らが単に言葉だけで神様に仕え、内側は神様にではなく人間に目を向けていたこと、そして、外側の部分はいかにも信仰的な振る舞いのように見えても、それは内面を隠すためであると指摘した…

律法を拡大解釈することの問題

イエス様の弟子たちが、この「昔の人の言い伝え」である手洗いをしていないというファリサイ派や律法学者の非難に対して、イエス様はただちに、「あなたがたは神のおきてを破っている」(3節)、「神の言葉を無にしている」(6節)と、彼らが根拠にした「昔…

手を洗うことの意味

神様は聖なるお方でありますから、神様を礼拝し、神様との正しい関係を持ち続けようとするならば、自分自身を清く保つことが求められます。何を食べるべきかは神様が定めておられるので(レビ記 11章)それを感謝していただく食事は当時、宗教行事の一つでし…

イエス様に近づく目的は・・

イエス様を、約180キロも離れたエルサレムの都から追いかけてきたグループがありました。それが本日聖書に登場するファリサイ派の人々と律法学者の人達です。彼らはゲネサレト地方の人々と対照的でした。イエス様に近づく目的は、論争をいどむ為であり、自分…

はじめに  

本日の聖書箇所のすぐ前に、イエス様が湖を渡ってゲネサレトという地方に行ったこと、その地では人々がイエス様を歓迎して病人を連れてきてイエス様にいやしていただいた出来事が記されています。病気の苦しみは苦しく、いやして欲しいという願いは切実です…

 15章1−20節

1 そのころ、ファリサイ派の人々と律法学者たちが、エルサレムからイエスのもとへ来て言った。2 「なぜ、あなたの弟子たちは、昔の人の言い伝えを破るのですか。彼らは食事の前に手を洗いません。」3 そこで、イエスはお答えになった。「なぜ、あなたたち…