2008-04-20から1日間の記事一覧

「正しい者は信仰によって生きる」

「正しい者」とは主イエス・キリストを信頼することによって、救いの力を信頼することによって正しい者とされた者です。主イエス・キリストは私共に(丁度ザアカイの時のように)近づいてこられます。「二・三人集まる所には私もその中にいる」(マタイ18:1…

「それは初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。」(17節後半)

17節前半は、イエス・キリストにおける事柄、後半は私共に対する主イエス・キリストに表れた福音との関係について語っています。「神の義は信仰を通して実現される」。ここに私共の立つ立場、イエス・キリストへの私共の対し方が出ていると思います。福音が…

「恵みの御業(みわざ)によって助け、逃れさせてください。」(詩篇71:2)

口語訳聖書はこの個所を「あなたの義をもって私を助け、私を救い出して下さい」と訳しています。つまり原語は、神の「義」とも「恵み」とも訳される言葉です。宗教改革は「神の義」がイエス・キリスト(福音)に表われる時に、罪人である私共を赦して義とし…

ザアカイに見る神の義と神の愛

別の見方をすれば、イエス・キリストにおいて神の義と愛があらわれているということがザアカイに見た救いに具体化されている、といえないでしょうか。ザアカイの「四倍にして返す」というざんげ・・それはまさに、神の義が直接ザアカイの生活の中に反映して…

「福音には、神の義が啓示されている」(17節)

「福音=主イエス・キリストには神の義が表れている。明らかに示されている。」といえます。「キリストにおいて明らかにされた神の義」とはどういうものであったでしょうか。それを一言で説明しているのが讃美歌262番「十字架のもとぞ いと安けき、神の義と…

「今日、救いがこの家に来た」

この前後の関係を見ると、「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」との主イエスの言葉があります。ザアカイのざんげは、この主イエスのザアカイに対する熱い心(愛といっても良い)が、告白をうながしたことは間違いないでしょう。「今日、救いがこの家に来…

悔い改め

「誰かから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」この言葉は、疑わしい生活の中にあったザアカイの持っていた罪の意識(これでは駄目だ。やむを得ないかもしれないけれど、これではダメという罪の自覚)を含んだざんげの気持が入っている悔…

ザアカイの例(ルカ福音書19章)

「今日、救いがこの家を訪れた。」(9節)。(「今日、救いがこの家に起こった」と訳すこともできる。)この言葉は、主イエスに向かってザアカイが示した態度を主イエスがご覧になって語った言葉です。それはザアカイの「主よ、私は財産の半分を貧しい人々に…

救いをもたらす神の力

この言葉はイエス・キリストの内容、イエス・キリストがどういう御方であるかを最も簡潔に語った言葉ではないかと思います。「救い」という言葉は、一人一人違うのでよくわからない言葉です。その人がどういうふうに救われたか、その人の救いがどうなってい…

福音をイエス・キリストに置き換える

「私は福音を恥としない。福音は・・」という言葉を「私は主イエス・キリストを恥としない。(なぜなら)主イエス・キリストは、・・・信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」(16節)と読みますと、主イエス・キリストがもっと具体的に私達に…

はじめに

「福音」という言葉は良い知らせ・Good News といわれるものです。ロ−マの信徒への手紙の冒頭には、福音とは「御子イエス・キリストに関するもの」(3節)と記され、マルコ福音書には「神の子・イエス・キリストの福音」(1:1)と記されています。「・・の…

 1章16−17節

1 わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。2 福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によっ…

 71:1−8

1 主よ、御もとに身を寄せます。とこしえに恥に落とすことなく 2 恵みの御業によって助け、逃れさせてください。あなたの耳をわたしに傾け、お救いください。 3 常に身を避けるための住まい、岩となり/わたしを救おうと定めてください。あなたはわたしの…