2009-01-01から1年間の記事一覧
ユダヤ教徒はユダヤ人以外の外国人(異邦人)と付き合うことは禁じられていたので、ペトロは異教徒を家に招き入れて話をすることなど考えられませんでした。しかし彼は神の霊に従うという信仰の決断をして、使者を家に泊らせ、翌日、彼らと一緒に出発しまし…
他方、ペトロも幻を見ます。幻に、獣や空の鳥など(レビ記11章で清くないとされるもの)が入っている大きな布のような入れ物が天から降りて来て、それを食べるように言われます。ペトロは、清くない物は食べたことがないと断りますが「神が清めたものを、清…
彼は、「信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた」人でした。ある日、幻の中で天の使いからペトロという人を招きなさいと命じられます。彼はすぐに使者を遣わしました。
本日の聖書は、内容から6つに分けられます。コルネリウスが見た幻について、ペトロが見た幻について、ペトロとコルネリウスの使者との面会、ペトロとコルネリウスとの対面、ペトロの宣教、そして異邦人にも聖霊が降(くだ)ったという出来事です。
1 さて、カイサリアにコルネリウスという人がいた。「イタリア隊」と呼ばれる部隊の百人隊長で、2 信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた。3 ある日の午後三時ごろ、コルネリウスは、神の天使が入って来て「コル…
12 イスラエルよ。今、あなたの神、主があなたに求めておられることは何か。ただ、あなたの神、主を畏れてそのすべての道に従って歩み、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くしてあなたの神、主に仕え、13 わたしが今日あなたに命じる主の戒めと掟を守って、…
私達は、全てがわかってから(全てを信じることが出来てから)、信仰を持とうと考えがちです。けれども私達人間には、神様のことが全部わかり切るということはあり得ません。弟子達でさえ、ただ、従っただけでした。そして成長していきました。大切なことは…
イエス様の弟子達への問いかけの原語は、「なぜ、臆病のままなのか」です。続いて「まだ信じないのか」は、「まだ信仰を持つには至らないのか。」です。ここに弟子達の信仰の姿が浮かび上がります。弟子達は「イエス様が神である」ことがどういうことである…
イエス様は、この嵐に出会う前までに、神様の権威を持って「御言葉を伝え」、「神の国を教え」、御力で「癒しの奇跡を行って」こられました。弟子達はこの歩みを共にしていたのですから、「イエス様と共にいる限り神様によって舟は守られ、神の御子イエス様…
今日の聖書で、イエス様と弟子達の乗った舟が渡っているのはガリラヤ湖です。通常は緑に囲まれた穏やかな湖ですが、急に嵐が起こることでも有名なところだそうです。近くの標高800mの高原から、この湖に冷たい風が吹き降ろし、渦巻くことになるからです。こ…
35 その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。36 そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。37 激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであ…
2 沈黙してあなたに向かい、賛美をささげます。シオンにいます神よ。あなたに満願の献げ物をささげます。3 祈りを聞いてくださる神よ/すべて肉なるものはあなたのもとに来ます。4 罪の数々がわたしを圧倒します。背いたわたしたちを/あなたは贖ってくだ…
私達は被造物(神によって造られたもの)で、神様の支配の下で生かされているゆえに、「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい」「タビタ、起きなさい」という、神様の創造者としての力、命を支配されるお方の力…
今日の聖書には、二つの出来事・・一つは、8年間中風で寝たきりのキリスト者がいやされた話、もう一つはクリスチャンの婦人が生き返った話です。ここに、私達の生も、死も、病も、すべてを支配されるお方がおられることが伝えられます。私達は自分がいつ生ま…
ヘブル書では、信仰をもって生きる者は地上にあって天にあるふるさとを求めて歩む旅人であると表現しています(11:13−)し、フィリピ書には、「私達の国籍は天にある」(3:20)とあります。イエス・キリストを信じる者は、死んでも生きる永遠の命が約束さ…
本日は「聖徒の日」として召天者記念礼拝をささげます。「聖徒」とは、神様に対してきよめられた者のことで、すべてのクリスチャン・キリスト者をさす言葉です。しかし「きよめられた者」とは、道徳的な意味でなく、コリントの手紙1:30「神によってあなた方…
32 ペトロは方々を巡り歩き、リダに住んでいる聖なる者たちのところへも下って行った。33 そしてそこで、中風で八年前から床についていたアイネアという人に会った。34 ペトロが、「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で…
1b わたしの助けはどこから来るのか。2 わたしの助けは来る/天地を造られた主のもとから。3 どうか、主があなたを助けて/足がよろめかないようにし/まどろむことなく見守ってくださるように。4 見よ、イスラエルを見守る方は/まどろむことなく、眠る…
まことの岩であるキリストによって、教会が私達の上に建てられています。それゆえ私達は(パウロがいったように)「キリストの体なる教会」なのです。それは目に見える建物としての教会では決してありません。そうではなくて、まことの岩であるキリストを告…
これが、「キリストを信じる全ての者が、司祭であり祭司である」というプロテスタントの万人祭司という宗教改革の原理です。宗教改革者ルターは、ローマ教皇あるいはペテロに与えられた信仰・・・それは、キリスト者一人一人にキリストによって与えられる。…
このペテロに比べて私達はどうでしょうか。私達は主イエスの地上の生涯だけではなく、主イエスについて旧約聖書はもちろん、福音書や使徒達の手紙によって沢山の知識が与えられています。たとえば「御子は見えない神の姿であり、全てのものが造られる前に生…
しかし、ペテロの上に教会が建てられるということと、ペテロの告白したことの上に建てられるというのは、必ずしも結びつくとは限りません。しかし聖書全体を読んでいきますと、結びつかざるをえないようにも思います。それは、ペテロが三度主イエスを否認す…
詩編95編に「主に向かって喜び歌おう。救いの岩に向かって喜びの叫びをあげよう。」とありました。詩篇31編には「主は私の大岩、私の砦、私の神、砦の岩、城塞」と言っています。又、パウロはコリントの手紙10章4節で、モーセに率いられたイスラエルの民が、…
別の角度から見てみたいと思います。それはペトロ自身のことです。まず宗教改革者ルターやカルヴァンは、教会が建てられる岩というのは、ペテロが告白した「主イエスご自身」のことだと反論しました。この反論を、ルターは何度も何度も繰り返し語りました。…
このペテロに対する祝福、そしてこの岩の上に教会が建てられ、地上でつなぐことは、天上でもつながれ、地上で解くことは、天上でも解かれる、そういうこの救いに対する権利を、カトリック教会はペテロだけではなくてペテロの後継者である代々のローマの司教…
主イエスは、ヨナの子シモンにペテロ(岩)という名前を与え、この岩の上に教会を建てる。しかもその教会は、死によっても滅ぼされないと付け加えています。これはペテロに対する大変な祝福です。大変な祝福でありますが、大事なことは、マタイ福音書18章に…
しかしこの信仰の告白を、ペテロは、この時、主イエスがどんな形で人類を救いながら、十字架と復活をどういう形で遂行するのか何も知らない状況でした。ペテロに限らず他の弟子達も、主の十字架と復活については何もまだ知りませんでした。ただ主イエスを神…
「人の子」は聖書から考えて見ますと、旧約聖書イザヤ書にあるように、私達の罪の贖い(あがない)、罪の赦し、救いの為に十字架の苦しみを受ける救い主(メシア)のことです。同時にダニエル書には、人の子は、この世界の終りの日(最後の審判の時)に、神…
次に主イエスは「あなた達は私を何者だと思っているのか」とお聞きになりました。するとペテロは「あなたはメシア(キリスト)、生ける神の子です。」と答えました。このペテロの答えは、主イエスが期待していた答えだったのです。
本日の聖書では、主イエスが弟子達に対して二つのことをお尋ねになっています。第一の質問は、人々は「人の子」を何者だと言っているか、という問いです。「人の子」というのは、主イエスが御自分のことをそう呼ばれたのです。主イエスの自称です。「私はこ…