2008-01-01から1年間の記事一覧

百人隊長とユダヤ人の信仰とのかかわり

さて、エルサレムに駐屯するローマ軍、特に現場監督である百人隊長はユダヤ人の信仰についてかなりのことを知っていました。むしろ知らなければエルサレムの治安を維持するという彼らの使命を遂行することが出来ませんでした。ユダヤ人の信仰をあらわす代表…

聖書に登場する百人隊長

聖書には、部下の兵士が中風をわずらって寝込んでしまった百人隊長のことが記されています。この時、百人隊長はイエス・キリストのうわさを聞き、駆けつけ癒しを頼んでいます。「ただ、お言葉を戴かせて下さい。そうすれば私のしもべは治ります。私も権威の…

百人隊長

ローマ軍の百人隊長というのは、百人程度の兵をとりまとめる責任者、兵士の命を預かる現場責任者でした。戦いのない時は兵士全体をまとめる等,軍の規律のかなめとなり戦時は最前線に立って指揮をとる勇者でした。百人隊長の戦死率は低くなかったといわれてい…

第一の目撃者

しかし一人の人がこの様子を十字架のすぐそばで,つぶさに目撃していました。それはローマの軍隊の現場責任者だった百人隊長です。百人隊長は十字架の出来事の第一の目撃者です。イエス・キリストが息を引き取る様子を見て、彼はまるで自分に言い聞かせるよう…

はじめに

イエス・キリストは午前9時にゴルゴタの丘で十字架につけられ、午後3時に「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫びました。この言葉を聞きユダヤ人達は「預言者エリヤを呼んでいる」と言いました。預言者エリヤが天から降りて来てイ…

 15章33−41節

33 昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。 34 三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 35 そばに居合わせ…

 6章4−15節

4 聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。 5 あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。 6 今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、 7 子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも…

イエス様の葬りの意味

ロマ書は記します。「私達は洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それはキリストが父の栄光によって使者の中から復活させられたように、私達も新しい命に生きるためなのです。もし私達がキリストと一体になってその死の姿…

アリマタヤ出身のヨセフ

イエス様の遺体は、アリマタヤ出身のヨセフの申し出により引き渡されました。彼は金持であり(マタイ)、身分が高く議員であり、勇気を出してピラトの所に行きました(マルコ)。善良な正しい人で、同僚の決議や行動には同意せず、神の国を待ち望んでいまし…

弟子の名前がない

今日の聖書に登場するのはイエス様の遺体とそれにかかわる人々だけです。その中にあるべき筈の11人の弟子の名前はありません。愛し尊敬する先生が死刑になることだけでも耐えられない苦痛であったでしょう。そして自分達も又、死刑囚の弟子ということで命の…

はじめに

本日は召天者記念礼拝です。信仰の先輩たちの写真を前にして、地上での生涯を信仰をもって走りぬいたその姿を思い起こし、記念する日です。私達の教会は歴史も浅く、私達の群れから天に送った方々はおりません。写真にある方々は私達会員の家族であり、又、…

 27章57−66節

57 夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。 58 この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。そこでピラトは、渡すようにと命じた。 59 ヨセフはイエスの遺体…

 1章14−21節

14−15ヨブのもとに、一人の召使いが報告に来た。「御報告いたします。わたしどもが、牛に畑を耕させ、その傍らでろばに草を食べさせておりますと、シェバ人が襲いかかり、略奪していきました。牧童たちは切り殺され、わたしひとりだけ逃げのびて参りまし…

<参照>

日本基督教団信仰告白の引用箇所 ・・神は恵みをもて我らを選び、ただキリストを信じる信仰により、我らの罪を赦して義としたもう。この変らざる恵みの内に、聖霊は我らを潔(きよ)めて義の果(み)を結ばしめ、その御業を成就したもう。・・」 七つの悔い改め…

最後に聖書をお読みします。

「“霊”も弱い私達を助けて下さいます。私達はどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成して下さるからです。霊は神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成して下さるからです。神を愛する者たち、つまり、ご計画…

私達の生きる枠

私達は霊の初穂を与えられ、信仰によって義と認められ、御霊である神の言葉<聖霊が働く聖書と説教という神の言葉>によって守られている、ということの中で聖化の歩み、聖霊のもとに導かれる歩みをすることが赦されています。これは大きな私達の枠です。私…

アウグスティヌスの御言葉とのかかわり

あの有名なアウグスティヌスは、死の病床に横たわりながら、壁に七つの悔い改めの詩編を書き並べて貼っていたと愛弟子ポシディウスは書いています。それはアウグスティヌスにとって大きな感謝、大きな安心の拠り所であったと思います。同時に自らを悔い改め…

三つのキーワード

今朝の聖書には三つのキーワードがあります。1「霊の初穂」(23節)。2「体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます」(同)。3「万事が益となる」(28節)です。 「霊の初穂」。これは、キリストを信じることによって義とされることを受け…

私達の罪が、キリストに転嫁された!

キリストを信じることによって私共が義とされるのは、神の義から見て義しいとされるのですからこれは大変なことです。それがどうして起こるかというと、キリストが私達の罪を負う。その時キリストの持っている神の義を与えて下さる。私達の罪とキリストの義…

体験に基づく聖書の読み方

この体験によってルターの聖書の読み方がすっかり変りました。福音から聖書を読む。聖書に出てくる神の平安とか、神の宥(なだ)め、神の憐れみとは、イエス・キリストにおいて現れた神の平和・平安、憐れみです。山上の説教に「柔和な者は幸いである」とあり…

ルターの体験

体験のきっかけとなった聖書は、ロマ書1章17節「神の義は福音において示された」です。福音とは1章の初めにあるように「キリストに関するもの」(3節)「キリストそのもの」です。ですから「神の義は、イエス・キリストにおいてあらわされた」ということに…

95カ条の提題を出さざるを得なかった理由

95カ条の提題を出す以前に、ルター自身の中に宗教改革的な体験・思い・認識があったということです。それがあって始めて単なる批判ではなくて主張・提言を含む提題を出すことが出来ました。ルターはどのようにしてイエス・キリストと新しく出逢ったのでしょ…

95カ条の提題

この冒頭すなわち第一カ条に記されているのが「私達の師にして主であるイエス・キリストが『悔い改めよ』(マタイ4:17)と言われた時、主はそれによって信じる者の全生涯(洗礼を受けた時から地上の生涯を終えるまで)が悔い改めであるべきことを求めておら…

はじめに

今から491年前、1517年10月31日に、マルティン・ルターが95の文章をヴィッテンベルク大学のある町の領主の居城の教会堂の扉に貼り付けたというこの事件をきっかけとして、宗教改革が始まりました。それから150年後、ドイツ、フランス、スイスなどのプロテ…

 8章23−28節

23 被造物だけでなく、““霊””の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。 24 わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希…

 18章30−32節

30 それゆえ、イスラエルの家よ。わたしはお前たちひとりひとりをその道に従って裁く、と主なる神は言われる。悔い改めて、お前たちのすべての背きから立ち帰れ。罪がお前たちをつまずかせないようにせよ。31 お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて…

神の国を広めるために

しかし彼は自分の喜びを話す事を優先します。彼の行動でイエス様の御働きに支障が出ました。評判がいよいよ広まり人を避けねばならなくなったことです。町の外の,人のいない所に退かれるイエス様。人が神様の言葉に従わない結果をイエス様が受けておられるの…

イエス様との出会い

彼は治りたい一心で、神様から来るその癒しの力に全幅の信頼を寄せ信仰を表明しました。イエス様は「深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ。』と言われ」(41節)ますと、たちまち皮膚病は癒されました。病が癒される3つの要素…

重い皮膚病

40節以下に「重い皮膚病」(以前はらい病)の人がイエス様のもとにやってきたことが記されています。皮膚病は、他と比べると見た目で分かりやすく明らかに普通と違います。さらに当時のイスラエル社会においては重い皮膚病患者は「聖なる民族」にふさわしく…

イエス様のお答え

イエス様は、「近くの他の町や村に行こう。そこでも私は宣教する。その為に私は出てきたのである。」(38節)と言われました。イザヤ書に「私を遣わして 貧しい人に良い知らせを伝えさせる為に・・」(61:1)と、ありますが、この「貧しい人」とは経済的な…