2011-01-01から1年間の記事一覧

欺くことがない

「欺くことがない」という言葉も、直訳するなら「私達に恥をかかせない」という意味です。砂漠の旅人が見る「しんきろうのオアシス」のように、近づくと消えてしまう、裏切られて終りになるような希望・・ではない希望です。この希望は、パンドラの箱から出…

希望

この「希望」は、「神の栄光にあずかる希望」(2節)、「私たちを欺くことのない希望」(5節)、両方合わせて「神の素晴らしさに自らも参与したいと願う希望。それは私達を決して裏切らない」というものでありましょう。

練達

「練達」という言葉は、「練られた品性」など、さまざまに訳されている言葉で、直訳するなら「テストに合格している」ということです。 すなわち「苦難と忍耐」というテスト、そのテストに合格の判定を得た心、しかも強い心で、柔和で純真な心、まるで火の中…

忍耐

パウロは手紙の中で「大いなる忍耐を持って、苦難、欠乏、行き詰まり、鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓においても、純真、知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛、真理の言葉、神の力によって」その忍耐を貫き通したと記しています(2コリント6:4−7参照)…

苦難

最初の「苦難」は、私達がこの世で出会う様々な問題・・・衣食住のこと、健康のこと、年齢を重ねることによる不自由、仕事のさまざまな問題、生きていく上で解決しなければならない様々な問題を「苦難」と言い表しております。「苦難」という表現の時は勿論…

聖書に登場する「希望」

他方、本日読んでいただいた新約聖書には「希望」という文字が三か所記されております。「神の栄光にあずかる希望」(2節)、「練達は希望を生む」(4節)、「希望は私たちを欺くことがありません」(5節)です。 ここに記されている「希望」は、私達が承知…

はじめに

最近は、「希望」と言う言葉を聞くことが多くなりました。今般の国会で、野田首相が所信表明演説の締めくくりを、「国民が希望を持つような政治をしようではありませんか」との言葉で閉じていました。 私達が「希望」という言葉を聞きますと、ギリシャ神話の…

5章1−5節

このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、 このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。 そればかりでなく…

 62編1−13節

【指揮者によって。エドトンに合わせて。賛歌。ダビデの詩。】わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。神にわたしの救いはある。神こそ、わたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは決して動揺しない。お前たちはいつまで人に襲いかかるのか。亡きものにし…

信仰の実をささげる

御子イエス様の到来によって全ての民に啓示された福音を、私達は聞き信じる幸いを与えられています。今や「神殿」とはエルサレム神殿ではなく私達自身のことです(「あなたがたは自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないので…

枯れたいちじく

翌朝早く一行は再び「いちじくの木」を見ましたが、根元から枯れていました。このことは、神様の救いの時に信仰の実を示さなかった者の行く末が「滅び」であることを示しているように思います。或いは逆に、こうも言えるでしょう。「御言葉や御心」に従って…

宮清め

その後、エルサレム神殿に入られたイエス様一行は、境内で、神様に献げる犠牲(動物や鳩)の売り買い、両替などの商売人達が神殿に敬意を払わず、我が物顔して商売しているのをご覧になり、旧約聖書を引用して非難されました。神殿は、まず神様と人間の心の…

イエス様といちじく

イエス様もイスラエル民族に、「初なりの実」を期待されたのでしょう。「空腹を覚えられた」は「切望した」の意味があります。選民イスラエルに、「イエス様をメシアと信じる信仰の実」を示すことを切望されたと理解できます。しかし今、メシア(イエス様)…

最後の一週間

イエス様のご生涯の最後の一週間は、神様の「救いの時」の恵みが豊かに示されています。今日の聖書は、二日目と三日目の早朝の出来事です。イエス様一行は、葉の茂ったいちじくの木を遠くから見て、実を求めて近寄りましたが葉の他、何もありませんでした(…

はじめに

私たち人間は、自分の無力さを知った時、無条件に「そこから救われたい!」と思います。魂は、神様が造られた本来の平安な世界を知っているのかもしれません。人は困った時にのみ神様を思い出し、「救って下さい」と祈ります。神様は、そんな罪深い人間を救…

11章12−25節

翌日、一行がベタニアを出るとき、イエスは空腹を覚えられた。そこで、葉の茂ったいちじくの木を遠くから見て、実がなってはいないかと近寄られたが、葉のほかは何もなかった。いちじくの季節ではなかったからである。 イエスはその木に向かって、「今から後…

7章1−2節

悲しいかな/わたしは夏の果物を集める者のように/ぶどうの残りを摘む者のようになった。もはや、食べられるぶどうの実はなく/わたしの好む初なりのいちじくもない。 主の慈しみに生きる者はこの国から滅び/人々の中に正しい者はいなくなった。皆、ひそか…

種まきと刈り入れ

続いてイエス様は、弟子達に「種まきと刈り入れ」に関する二つのことわざを取り上げて語られました。一つは「刈り入れまでまだ4カ月もある」という言葉です。これは種をまいて収穫するのに4カ月かかる。待たなければならないという意味ですが、イエス様は、…

イエス様の食べ物

イエス様は弟子達に、「私にはあなた方の知らない食べ物がある」と言われました。それは、空腹を満たす食物では無く、霊的な意味で活力を回復させる為の食べ物のことでした。イエス様は次のように言われています。 「私の食べ物とは、わたしをお遣わしになっ…

サマリヤの女との会話

イエス様から「水を飲ませて欲しい」と頼まれたサマリヤの女は、驚いて、その理由(ユダヤ人がサマリヤの女に頼むことはあり得なかった)を聞きます。イエス様は、「私が誰であるかを知っていたら、あなたの方から生きた水を私に求めたでしょう」と答え、さ…

はじめに

本日の聖書は、イエス様が、水汲みに来たサマリヤの女と出会い、水を飲ませてほしいと頼んだことから始まります。イエス様の生涯は、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)というメッセージを、一人でも多くの人々に宣…

4章31−38節

その間に、弟子たちが「ラビ、食事をどうぞ」と勧めると、 イエスは、「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある」と言われた。弟子たちは、「だれかが食べ物を持って来たのだろうか」と互いに言った。 イエスは言われた。「わたしの食べ物とは、わたし…

139編1−6節

【指揮者によって。ダビデの詩。賛歌。】主よ、あなたはわたしを究め/わたしを知っておられる。 座るのも立つのも知り/遠くからわたしの計らいを悟っておられる。歩くのも伏すのも見分け/わたしの道にことごとく通じておられる。 わたしの舌がまだひと言…

 4章17節 そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。

◆四人の漁師を弟子 *はじめに 私共キリスト者にとって、世界を変えたものは二つあると思います。 一つは、キリストがこの世界に来られたことです。神がこの世界に、私共に、御子キリストを送って下さったことが世界を変えたものです。これは私達だけではな…

 71編 1−3節 主よ、御もとに身を寄せます。とこしえに恥に落とすことなく 恵みの御業によって助け、逃れさせてください。あなたの耳をわたしに傾け、お救いください。 常に身を避けるための住まい、岩となり/わたしを救おうと定めてください。あなたはわたしの大岩、わたしの砦。

15−16節 わたしの口は恵みの御業を/御救いを絶えることなく語り/なお、決して語り尽くすことはできません。 しかし主よ、わたしの主よ/わたしは力を奮い起こして進みいで/ひたすら恵みの御業を唱えましょう。

真のメシア

イエス様の、メシアとしての役割は「苦難のメシア」(イザヤ52〜53章)でした。この世を武力で抑えつけるのではなく、この世の暴力によって殺され、罪のない者として血を流すことで、人々の罪をあがない、神様からの赦しをいただくことが神様からのイエス様…

エルサレム入城

二人の弟子は、自分の上着を子ろばの上に敷きました。この行為は、王に敬意を示し、即位を喜ぶ意味が含まれています(列王記下9章)。それに倣うかのように、群衆が道路に上着や葉のついた枝を敷いたりして、待ち続けたメシアをイエス様に重ね合わせ、「ホサ…

証人とされる

イエス様から命じられた二人の弟子は、その言葉に従って子ろばを連れてきました。主の預言や御言葉の正しさを証明する証人にされたのです。彼らは恐らく、自分達の行動の意味を理解していなかったでしょう。彼らは期せずして、そのような恵みに与(あずか)…

子ろばと柔和

イエス様一行がエルサレムに近づき、ベトファゲとベタニアの町にさしかかった時です。イエス様は弟子達に「子ろば」を連れてくるよう命じました。それは、ゼカリヤ書の預言に従って、メシアとして子ろばに乗り、エルサレム入城をなさる為でした。「子ろば」…

はじめに

今日の聖書は、イエス様生前の最後の一週間の初日(日曜日)として、イエス様のエルサレム入城の出来事を記している箇所です。イエス様は、ご自分がエルサレムで十字架に架かることを預言されていまが、それは、人々の罪を贖(あがな)う為の、神の御子の悲…