2012-01-01から1年間の記事一覧
ヨハネの水のバプテスマは、悔い改めのバプテスマでした。しかし、ヨハネのあとから来られたイエス様を、「神の御子・救い主」と信じたキリスト者は、イエス様から聖霊と火によるバプテスマを授けていただけます。 聖霊によるバプテスマとは具体的にはどうい…
ヨハネのもとにきた人達の中に、ファリサイ派とサドカイ派の人々が多くいました(7節)。彼らに共通していたのは自分達がアブラハムの子孫であり選民であるという特権意識でした。自分達は無条件に守られており、神様から見捨てられることはないとの、安心感…
ヨハネが荒れ野で語った言葉は「悔い改めよ。天の国は近づいた」(2節)です。「悔い改めよ。天の国は近づいた」とは、「長い間神様と遠く離れて生活をしてきた人間の世界に、天の国(神様の支配)がまもなく始まる。だから一人一人、悔い改めて、神のもとに帰…
私達の社会では、地位の高い重要な人物と考えられる人(例えば天皇陛下や大統領など)が車で目的地に向かう時、必ず先導車が用意されるように、神様がこの世を救う為に、独り子イエス様を天から遣わされるにあたって、先導役の使命を与えられた人物がいます…
先週(11月25日)の収穫感謝礼拝説教要旨 詩編104:19−31・ルカ12:13−21、33−34 「宝を天に積む」 倉松功先生(元東北学院院長) *はじめに 本日は収穫感謝の礼拝です。収穫感謝祭は国によって守る時期は異なります(ドイツでは10月第一日曜日・アメリカで…
滅びるしかなかった私達人間に対して、神様は救いの道を開いて下さいました。「ただ、キリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされる」(同24)、「すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神…
しかしイスラエルの人々は、正しく生きるために与えられた律法を、守ることが出来ませんでした。罪が支払う報酬は死であり(ロマ6:23)、滅びです。「正しい者はいない。一人もいない。」(同3:10)、「人はみな、罪を犯して神の栄光を受けられなくなって…
今日の聖書は、なぜ私達が本来「聖」なる者ではないにもかかわらず、聖とされて、聖徒の一員に加えられたかが語られているところです。 神様は、世界に罪が増大していく中で、人々が神様を信じて正しく生きる為に、多くの民族の中から一つの民族(イスラエル…
日本キリスト教団では、11月の第一日曜日を「聖徒の日」と定め、先に召された信仰者の方々を記念し、礼拝をささげています。私達が告白する使徒信条の中に、「聖徒の交わりを信じる」とあります。教会は、「同じ信仰を告白する者の群れ」であり、「イエス・…
イエス・キリストは告げます。「あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存知である。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」(同32−33)。 イエス・キリストは「その日…
二つの点に注目したいと思います。 第一は「その日の苦労はその日だけで十分である」。 今日のんびりと過ごしなさいと言う意味ではありません。一日の内にはかなりの労苦がある。苦労がある。苦労という言葉を直訳すると「恨みや悪意」という意味で用いられ…
ところでその後、イエス・キリストは劇的な変化を示します。 どういう変化かと申しますと、旧約聖書から引用するのではなくて、「ご自分の言葉」によって言葉を伝えている。ガリラヤ湖畔の山上において、イエス・キリストは民衆や弟子達に語るのです。 「『…
この申命記は、モーセによってエジプトから導きだされ、荒れ野をさまようイスラエルの民たちのことが言われているのです。あのイスラエルの民は、エジプトから出て、荒れ野でひもじい思いをしていました。そして彼らはつぶやきます。「我々はエジプトの国で…
「聖書の言葉に基づく信仰」という理念は、ルターが言った言葉ですが、それはルターが初めてということではありません。すでに、イエス・キリストに見られます。本日の聖書に「イエスはお答えになった『人はパンだけで生きるものではない。』(マタイ4:4)…
ルターが修道士になった頃もそうでしたが、カトリック教会のミサではラテン語の聖書が用いられ、ラテン語で典礼が行われていました。 宗教改革の50年ほど前、1455年、ドイツで印刷技術がグーテンベルクによって発明されていましたので、聖書はすでに印刷され…
本日は宗教改革記念の礼拝です。 今を去ること約500年前の1517年、マルティン・ルターがドイツのヴィッテンベルク城教会の扉に、95カ条の提題の紙を貼りだしたことを記念しての礼拝です。 宗教改革は、ルターにとどまらず、その後のジャン・カルヴァンの改革…
東北学院大学 佐々木哲夫先生
34節以下の譬えは、留守を託された僕や門番が、帰りがいつになるか分からない主人を迎える為には、日常的にしっかり任務を遂行していなければならないことを教えています。罪が横行するこの世の闇の中に、世の光であるイエス様が再び来られることの比喩です…
今日の旧約聖書「草は枯れ、花はしぼむが 私達の神の言葉はとこしえに立つ」(8節)にあるように、神様の御言葉は永遠で、はかない人間の発する言葉とは性質が違います。神様の御言葉は、御心(御計画)を必ず成就させる力があります(イザヤ書55章参照)。…
マルコ福音書13章は、「終末の日」についての弟子達の質問から始まり、イエス様が分かりやすく答えようとされた教えで構成されています。質問は、「それがいつ起こるのか」、そして「どんな徴(しるし)があるか」でした。今日の聖書は「いつ起こるか」につ…
「終末についての御言葉(1)」では、戦争、地震、飢饉、迫害の記述があるけれども、その一つ一つの出来事に怯える必要はなく、むしろ、イエス様の勝利によって、サタンが支配する古い世界から、神様の愛の広がる新しい世界が生まれる希望を見い出しました…